泣いて笑ってよ一等星

僕の歌を笑わないで (twitter @tktknhs )

愛は愛は愛は

 

いつまでもこの気持ちは治らないと思いつつ、やっぱり残したかった。日記なんて続いたことがないけど、でも、残しておきたい。思ったことのすべてを。

 

渋谷すばるが居なくなると知った日の夜、パジャマとしている着ているジャージの下に着るTシャツを変えた。

 

いつか買った24時間テレビのTシャツを、グレーの、ユニクロで安売りされてたものにしようとして、真っ赤なTシャツが目に入った。

 

高校2年だか、3年だかの文化祭で作ったクラスTシャツだった。私たちの学年の色が赤で、それで作ったんだと思う。

 

本当に本当に、突き抜けるような赤が目に入って、それを今着ている。背中には私の名前と、それから出席番号。(名字が早いのででかでかと2の文字)

 

前面には、バカッコイイ動画を撮っていたから、バカッコイイを漢字にした、力強い文字が入っている。

 

そういえばこのTシャツを作ったの、渋谷担だったなあと思った。彼女は元気だろうか、そりが合わなくて仲良くはなかったけど、赤色のレンジャーコスをしたキティーちゃんが、彼女のスクールバッグに輝いていたのを今でも覚えている。

 

今までずっと、メンバーカラーが赤の人を自担にした事はなかった。青か紫ばかりだ。でもその青か紫の人は必ず、赤の人と関わりが深い人だった。

 

私は、青や紫の人越しにみる、センターカラーである赤を纏ったアイドルを見るのが大好きなんだと思う。

 

自担越しにみる赤色の人は、いつでも柔らかい人ばかりだった。世間からは冷たそうとか、自分勝手とか、そんなことを言われている人が、私の知ってる赤色には多かったけど、でも自担越しに見るその赤は、突き抜けるような赤ではなくて、優しくて柔らかい赤だった。

 

私はなんでこんなにさみしいのだろうと考えていた。

 

言い方は悪いけど、自担が辞めるわけではない。でもそれを他人から言われれば腹が立つ。村上くんじゃなくてよかったね、なんて言ってきたら多分殴ってる。許せ法律よ。

 

そこで気付いたのだ。

 

村上さん越しに見る赤の人が、

村上さんが赤の人へ向ける視線が、

優しさが、

ツッコミが、

声が、

想いが、

何もかも大好きだった。

 

「すばる」と呼ぶ声も、「ヒナ」に応える顔も、2人にしかわからないモノマネで笑う表情が、大好きだった。

 

二度と見ることができない。

 

少なくとも村上さんは、関ジャニ∞としての村上さんは、関ジャニ∞渋谷すばると決別してしまったから。

 

それがさみしい。

 

なんやかんや言ったけど、わたしは関ジャニ∞渋谷すばると、関ジャニ∞村上信五しか知らない。その知ってるつもりのものも、ひどく曖昧なものかもしれないのだけれど。

 

摂津富田の渋谷すばると、高槻の村上信五のことは全く知らない。幼なじみの2人のこと、一個も知らないのだ。

 

関ジャニ∞としての2人が決別した今、わたしは縋るものとして、曖昧なものすら知らない「幼なじみ」を拠り所にして、さみしさをそこに置いている。

 

¨

 

ただもう、一つの覚悟は決めなければいけないな、と個人的に思っている。

 

生涯推すと決めた男が、旅立つ人のために数々の涙を流してきた男が、泣くこともなく背中を押して振り向きもせず去っていったのだ。

 

多分もう、紫越しの柔らかい赤を見ることは、なくなってしまうのだと、覚悟を決めようと思う。

 

もしかしたら、もしかしたらを期待していたけど、まだ期待しているけど、いちばんつらいケースを、覚悟しておこうと思う。これは、自分のために。

 

 

赤色が好きだった

大好きな男が最後まで世話を焼いた、

その赤が、本当に好きだった。